宇久島の最高峰城ヶ岳は、別名「五島富士」とも呼ばれており、西海国立公園に指定されています。 山頂の展望台では小値賀、五島、生月、平戸などを眺望することができます。
宇久島は、海の侍・海士(あまんし)たちの素潜りによる鮑漁と捕鯨文化で栄えてきました。浜方ふれあい館では、海士の歴史と捕鯨文化、そして「旧宮崎缶詰所」の産業の歴史を見て・聞いて・感じることが出来る体験型観光施設です。海士の道具や懐かしい写真の展示、また捕鯨に関する資料等、数多くの浜方地区(堀川・向江・佐賀里・旦の上)の歴史文化を感じさせる資料等を展示。また宇久島の特産品や島民手作りのお土産も販売しています。
海士と捕鯨文化の里で、今も受け継がれる海の男の伝統と誇りを体感してください!
1187年(文治3年)、宇久島の西端である火焚崎「船隠し」に、平 家盛公は重臣の「藤原久道」他数名を従えて上陸しました。 その後、土着の豪族を征服して宇久家を名乗り、7代約200年間に亘り、宇久島で五島一円に勢力を拡大しました。そして、八代以降の歴代領主が福江島に移り居城を築き五島統一を行いました。
平家の里・宇久島のシンボルである盛州公園は、平家まつりメイン会場のほか、各種イベント会場として活用されています。また、公園側には宇久島が捕鯨で栄えた時の捕鯨砲が展示されています。
フィッシャリーナ宇久は、五島列島の最北端に位置する宇久島にあり、東シナ海へのクルージングの休憩場所としては最適である。また、九州“海の駅”設置協議会に登録しヨットマン・フィッシャーマンの来港を歓迎し、自然と共有する感動・体験を応援します。
平家盛公は、御召船の屋形内に鵜戸神宮の御分霊を奉じて来島し、「ウガヤフキアエズノ命」を御祭神として神島神社を建立しました。宇久島の平地区の総氏神であり、特に夏・秋の大祭では、御神輿が勇壮に町中を駆け巡ります。
平家盛公が宇久島に来島した1187年(文治3年)正月、宇久家(後の五島家)の菩提寺として、東光寺は建立されました。 堂の裏には、家盛公以下7代の歴代領主の霊廟があります。また、1740年(元文5年)鯨組の浄財遺物である閻魔大王像や十王像等が本堂に安置されています。
宇久島各地の遺跡から発掘された、考古出土品や最近まで使われていた民俗文化財など、歴史と文化資料を多数展示しています。 発掘されたものの中には、旧石器時代の細石刀や、弥生時代の壺棺・甕棺、倭寇時代の青磁・白磁等の焼き物などがあり、この資料館に保存展示されています。
平家盛公が宇久島に来島した時、久保盛興という、山本の地に於いて勢力を持っていた豪族が、ただ一人家盛公に従いませんでした。家盛公は、盛興一族を誘い出し、風呂攻めにして殺害した。久保盛興一族は、久保様の墓としてこの地で祀られています。
平家盛公が宇久島に来島した時、常に懐中の守り本尊であった毘沙門天を安置し、毘沙門寺と名付け、宇久家(後の五島家)の祈願寺として代々崇めてきました。平安時代後期作と言われる十一面観音立像が、本堂に安置されています。
マリンブルーの海と遠浅の白い砂浜が約1キロにわたって広がる海水浴場です。沖合では、ウインドサーフィンも楽しめます。 また近くにはキャンプ場もあり、家族や友人と共にのんびり充実した時間を過ごすことができます。
南国ムードたっぷりのスゲ浜海岸には、レストランなどの施設が充実し、マリンスポーツの場としても人気のスポットです。近くには、白砂の温暖な海浜に自生するハマユウの群落地もあり、花時期である夏には、白い花が美しく海岸を飾りながら、日没前後に甘い香りを漂わせます。されています。
1196年(建久7年)、小島崎に厳島大明神と称え奉斎していましたが、1701年(元禄14年)、地域住民が協力して、現在地に遷座しました。ご祭神は、日本古来の宗像三女神をお祀りしています。この神社のお祭りである竜神祭(別名ひよひよ祭り)は、旧暦6月17日の夜に行なわれます。お神輿を漁船に乗せ海上を回る御神幸は、幻想的な夜祭です。
1570年(元亀元年)志自岐宮と天満宮を合祀し、その後1688年(元禄元年)に、現在地にて志自岐大明神として称えられました。1871年(明治4年)には宇久島神社へと改称され、小浜・神浦・飯良地区の総氏神となりました。毎年10月24、25日に例祭が行なわれ、例大祭の御神幸には、市指定無形文化財「しゃぐま棒引き」が古式ゆかしく先導します。
1637年(寛永14年)開山の日蓮宗のお寺で、一説にはそれより以前に平家の家臣「三浦氏」の祖が創建したという伝説もあります。特にこのお寺は、五島の富江家に縁があり、富江家の二人のお姫様が境内墓地に祀られています。
西蓮寺(曹洞宗)は、泊家菩提寺として開かれ、その後山口県大寧寺の末寺法地となりました。また、位牌堂裏は墓地になっており、その中には泊家の先祖で、豊臣秀吉の文禄・慶長の役で戦った「泊 利光」(心捜道用禅定門)の墓碑と言われる五輪の塔があります。
小浜地区下山港付近に自生する「アコウの巨樹」は、市の天然記念物に指定されています。樹齢は数百年といわれ、幹まわりは最大で16メートル程もあります。江家の二人のお姫様が境内墓地に祀られています。
宇久地区に位置する陸上競技場です。2016年には佐世保市総合防災訓練に参加するため、長崎県佐世保市に所在する陸上自衛隊相浦駐屯地、宇久陸上競技場(宇久島)及び米軍赤崎貯油所に飛来しました。
家盛公は、文治年中に請願して山崎鳩之峯八幡宮の御神体を奉じて守護神とし、鎮西に下り、文治3年3月に火焚崎に着き、宮所を選んで現在地へ代々宗廟の氏神として尊崇するようになりました。神社には、家盛公来島時に使用したと言われる「かげ椀」が宝物として残されています。
建久年中、疫病で人々が苦しんだ為、山城国男山八幡宮の摂社である厄神社の御分霊を勧請して、現在地に遷座しました。疫病・漁の神として信仰され、島内をはじめ、壱岐・対馬・平戸・五島等から船を仕立てて参拝していました。神社の参道に自生する笹竹(女竹)を持ち帰り、神棚にお供えしてお守りとします。
家盛公が入り江に船を隠したことから「船隠し」と名付けられ、上陸した時に火を焚いて暖をとったことから岬を「火焚崎」と呼び、夕日を見る絶好のポイントです。ます。
広大な天然芝を利用した平原ゴルフ場は、日本の「セントアンドリュース」とも呼ばれる海越えのコースやなだらかなフェアウェイなど、他に類をみない魅力的なコース展開が話題のゴルフ場です。平原ゴルフ場限定のローカル・ルールも必見です。
宇久島の北端・対馬瀬鼻に立つ灯台です。テレビCMの舞台となり、島を代表するロケーションです。付近の磯は、絶好の釣りポイントとして釣り人たちにも有名です。
海の神・豊玉姫様を祀っている三浦神社に自生するソテツの巨樹です。この巨樹は樹齢1000年といわれ、長崎県の天然記念物に指定されていますしてお守りとします。